暖炉の上の神様 


今年になってしていることがもうひとつ。

毎日お祈りをすること。


勝手につくった神棚には、初詣で大宰府でもらってきたおふだと瓢箪が置いてあって、瓢箪の中には、「可愛いハーフの子供を産んで一生幸せな家庭を築けますように」なんていう、自己中以外なにものでもない感じのお願いが入っている。
(お願いって公表していいのかな・・)


得意げに見せた友達に、「ちょっと神棚にしては低いね」と突っ込まれたり、暖炉をつけるときは神様熱くないかな?とちょっと不安になったりもするけど、仏教徒でもなんでもない私がお祈りを始めた理由はただひとつ。

今年が厄年で、去年の前厄にお祓いをしなかったら、なんだか大変なことがいろいろあったから。


毎日お祈りを始めてみて、お祈りするっていいな、と思った。

一年にお正月の一回ぐらいしかお祈りしないから、いろいろ迷って、「仕事で成功したい」とか、「幸せになりたい」とか大それたことをいろいろ思いついてしまうものなんだと思う。

毎日お祈りしてみたら、毎日神様に願うことなんて、
「今日も、私の大切な人、大切じゃない人も含めてみんなが健康で、悲しい思いをしたりしないで、ちゃんと笑ってすごせますように」っていうぐらいしかなかった。

私が毎日の積み重ねの人生に求めているものは、それだけなんだなと思った。


お願いをする前に、その日一日、神様に感謝したことを思い浮かべていたら、今日も事故にもあわないで無事に帰ってこられたこと、大好きな友達と会って笑えたこと、雪が愛らしくすくすく育っていることとか、仕事で大変なことがあって、それでも諦めないでちゃんと頑張れたこととか、毎日毎日、驚くぐらいに感謝することが尽きずにたくさんあって、「私はこんなに、毎日恵まれていて幸せなんだな」って、しつこいくらいに、毎日いちいち振り返っていた。


大好きな人、今日話したひと、ちょっともめている人や苦手な人、とにかく頭に浮かぶ人を全部思い浮かべて、「みんなが幸せな気持ちで、今日一日を過ごせますように」とお祈りすると、なんだかすべてが淡い光で包まれていくような、不思議な気持ちになった。


お祈りは、自分のためにするものじゃなく、自分に関わるすべての人たちが無事でいて、幸せでいて、それで、ありがとう、と思うためにするものなんだと知った。


遠くにいて、なかなか会えなくても、話すこともなくても、いつもこの、暖炉の上の神様が、私を、みんなとつなげてくれている気がする。


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