乗れなかったバス
この週末は、神様が私たちに見せてくれた、
最後の、何事もなかったような幸せな週末だったのかもしれないと思った
私たちを実験台にした、彼なりの罪ほろぼしだったのかもしれない
そう思うと、そんなことをなにも知らずに週末を過ごしていた私たちが
なんだか愛おしく、かわいそうに見えた
私たちは、まだなにも難しい話をしていなかった頃のように
音楽を聴いて、窓から空を見て、キッチンに立ってたまねぎを切った
やがて夜が来て、
実験の終わりの時間が来て
いつもの船を見ながら、
私たちは最後の最後に、
実験台ではなく人間として、正しい選択をしようとした
本当に本当に悲しいときは、涙も出ないんだと知った
心の中が完全に空っぽになって、痛みを感じる感覚さえもないんだと
I'm sorry、と、悲しい気持ちで思った
私たちは、ここまで、長い長い時間と道のりをかけてやっと辿り着いたのに
決定的なタイミングを逃してしまうんだということを
まるで他人に起こった出来事のように、静かに
残念だったね、と思った
まるで、誰かがバスに乗り遅れてしまって、決定的な何かを逃してしまったときのように
次のバスが、別の場所ではあるけれど、
どこか幸せなところに連れていってくれるように
手を振って
- [2015/03/24 08:18]
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